当時、動画サイトにゲーム映像を投稿するくらいしかやることの無かった僕が久しぶりにカレンダーをめくってからもう5年も経った。当時ぼくが住んでいた仙台市の実家には津波が到達せず基礎に入ったヒビがそこそこ危ないよと言われた程度で、家が流されたり町全体が駄目になったところと比べたら本当に何でも無いのだが、それでも機能が止まった町で不安な日々を過ごしていたのには変わりなくて、でもそのくらいで被災者ぶるのは良くないなと思って、
人と話しても「僕のとこなんて全然ですよ!」と言うのだけど、でも経験したことの無い毎日がすごく不安で、でも他の壊滅的な地区に比べたら全然だし、でも実際は、でもこのくらいで、でも実際、でもこのくらいで、でも実際、を繰り返しているうちに心のバランスを崩し、落語の真似事をボイスレコーダーに吹き込んでその録音をiPodに入れて持ち運ぶようになった、自分が落語が話している音声を聴いて「ああ、俺だ」と認識しながらそこら中を歩き回っていた。
そんな日々から4年、僕も心を取り戻し今では携帯端末の中に好きなバンドやアイドルの曲、友人と楽しそうに遊んでいる写真や姉の顔にだけモザイクをかけた幼少期の映像を入れて毎日を過ごしている。ここまで来るのに4年もかかったけど、確実に、少しずつ、前に進んでいる、僕はテレビをつけないのでその手の番組も見てないし発生時刻に黙祷もしてないけど、こんなことがあったな、あんなことがあったなと、当日の様子を思い返している、なんとなくな記憶だけど、
たぶん被災地域に住んでいなくて、テレビで当時の様子を見ていた人のほうがもっと強烈に記憶していると思います、僕は何が起きているのかもよく分からないままとりあえず今晩どうしよう、みたいな感じだったのでたぶん地震!!震災!!みたいな意識というか、アレルギー反応というか、そういうのは東北じゃない人の方が強いんじゃないかな、「不謹慎だ!!」って言ってる人も別にいなかったよ、
僕が震災の話をするのは文字でも音声でも実生活でもほとんど無いのだけど、それは単に不謹慎がなんだということではなくて、自分の立場が分からないから。ぼく程度の人間が被災者目線で震災を語るなんてことは他の人に申し訳なくて出来ないし、かと言って全くの被災者じゃない者って訳でもないし、県外の人に「地震だいじょうぶだった?」と言われても何を喋ればいいのか分からないんだけど、
でも確実に僕の心をかき乱して行った経験なので何か言いたいのだけど、そうなると「こんなにひどかった」という論調にどうしてもなっちゃって、でも実際に家が流されてる人たちに比べたらこのくらい全然、でも実際は結構、でもこのくらい全然、でも実際、でもこのくらい、実際、このくらい、
こんな葛藤を4年やってる。